地方在宅オタクの、小さな光の物語
――1LDKで見てきた、七つの夜の記録
地方在住で、在宅が多くて、ライブにはほとんど行けない。
それでも、画面の向こうにいる地下アイドルの姿に、何度も救われてきた――。
このエッセイは、1LDKの部屋からスマホだけを頼りに推しを見続けてきた
「地方在宅オタク」の七つの夜を並べた、小さな光の記録です。
派手な奇跡は起きないし、劣等感も簡単には消えない。
それでも「ここから推す」と静かに決めた誰かの物語として、そっと置いておきます。
推しがいる街と、僕が住んでいる街の間には、いくつもの線路と、いくつもの高速道路が横たわっている。
でも、それ以上に大きいのは、画面の向こうとこちらのあいだにある「距離」だと思う。
行けないライブ。
追えない遠征。
タイムラインの向こう側だけで完結していく、現場の思い出たち。
それでも、スマホを手放せなかった在宅オタクが、
1LDKの部屋から見てきた七つの夜の話を、ひとつに並べ直してみる。
派手な奇跡はひとつもない。
推しが僕の名前を呼んでくれる場面もない。
ただ、行けないまま、それでも画面の前で推しを見続けてきた時間の中に、
「救いにならないくらい小さいけれど、たしかにあった光」を、そっと拾い上げて並べている。
最初の夜は、いつもの部屋と、小さな画面から始まった。
第一夜「1LDKと小さな画面」
僕の住んでいる街には、
推しが来るようなライブハウスはほとんどない。
駅前の再開発も中途半端で、
夜になればバスの本数もすぐに減ってしまうような地方都市だ。
1LDKの部屋には、最低限の家具と、
コンビニの袋と、洗いそびれたマグカップ。
それでも、この部屋にはひとつだけ、大事なものがある。
――推しが歌う動画が、何本も保存されたスマホだ。
最初は地上アイドルからだった。
有名なグループのMVを見ているうちに、
たまたま関連動画に出てきた、
名前も知らない地下アイドルのライブ映像を開いた。
狭い箱、少ない照明、観客もまばら。
それなのに、画面の中の女の子たちは、
誰よりも必死で、誰よりも楽しそうに歌っていた。
仕事を終えて、シャワーを浴びて、部屋の灯りを落とす。
その一連の流れの最後に、スマホの画面をつけるのが、いつの間にか“夜の始まり”になっていた。
その日から、僕の夜は、
少しずつ推しの色に塗り替えられていった。
現場を知らないまま好きになった推しと、静かな1LDK。
そこから、一度だけ勇気を出して踏み出した夜が、あと全部の基準になっていく。
第二夜「まだ、名前を呼んでもらえる距離だった」
配信だけ見ていれば、きっと楽だった。
遠征なんて、現実的じゃないと思っていた。
それでも一度だけ、どうしても現場に行きたくなった。
休みを取って、新幹線に乗って、ホテルを取って――
頭の中で計算するたびに、
「そこまでしなくても」と自分でブレーキを踏んできた。
それでも、その日はなぜか引き返せなかった。
デビューして間もない、初めての主催ライブ。
告知ポストのRTは多くない。
いいねの数も、決して“バズり”とは言えない。
だからこそ、「今、行きたい」と思った。
知らない街の小さなライブハウス。
開場時間ぴったりに着いたのに、
中に入ると、フロアにはまだ空白がたくさん残っていた。
最前列だって、少し勇気を出せば立ててしまうくらい。
暗転して、一曲目のイントロが鳴る。
空気が一瞬だけ固くなって、
スピーカーの低音が床からじわっとせり上がってくる。
画面越しでは「BGM」みたいに聞こえていた音が、胸の奥のほうを直接叩いてきて、
この場所がちゃんと“現実”なんだと遅れて実感した。
ステージに出てきた彼女は、
画面越しで見てきた“推し”そのままの姿で、
それでもどこか頼りなさそうにマイクを握っていた。
声は少し震えていて、
ダンスの振りも、ところどころぎこちない。
でも、それが逆に愛おしくて、
「ここから始まるんだ」と胸の奥が熱くなった。
息継ぎの音や、マイクに乗る小さな踏み鳴らしが、
画面の中ではノイズとして消えていた“生の部分”として耳に飛び込んでくる。
それを聞いているだけで、涙が出そうになる自分に驚いた。
曲間のMCで、彼女は
ひとり、またひとりと
客席の顔を確かめるように視線を動かしていく。
「いつもコメントくれる人、来てくれてるの、うれしい」
そう言って笑ったとき、
自分のことだと勝手に思って、
マスクの下でこっそり口元が緩んだ。
終演後の特典会も、列は長くない。
「初めて来ました」「いつも配信見てます」
そんな声が、ゆっくりと順番に交わされていく。
ひとりひとりとちゃんと話せるだけの、
まだ“余白”のある現場だった。
やがて、自分の番が来る。
目の前に立った途端、さっきまでステージにいた彼女が急に“ひとりの人”みたいに近く感じられて、用意してきた言葉がどこかへ飛んでいった。
「えっと……いつも配信見てて……コメントも、たまにしていて……」
自分でも何を言っているのかよく分からないまま言葉を並べると、
彼女は少し首をかしげてから、ふわっと笑った。
「そうなんだ。いつもありがとうね。
アイコン、見たことある気がする」
本当に覚えられているのかどうかは分からない。
それでも、その一言だけで、長い往復の電車代が全部報われたような気がした。
「今日は、どうだった?」
「緊張してあんまり覚えてないですけど……でも、すごくよかったです」
そう答えると、「よかった〜」と安心したみたいに笑って、
チェキに日付と短いメッセージを書きながら、もう一度「来てくれてありがとう」と言ってくれた。
話すことなんてほとんど用意できていなかったのに、
目の前で「ありがとう」と笑ってくれた顔だけは、
いまだに鮮明に思い出せる。
帰り道、知らない街の夜風を受けながら、
「来れてよかった」と何度も心の中でつぶやいた。
そのたびに、同じくらい強くこうも思う。
――きっと、すぐにこの距離は遠くなる。
配信のコメント欄が、
少しずつ賑やかになっていく未来が見えたから。
ここに来れない日が、必ず増えていくことも、
もう分かっていたから。
一度だけ、
同じ空気を吸ってしまった。
その日から、
画面越しの推しは「会ったことのある人」になった。
そしていつか、
「もう自分はいらないのかもしれない」と
こっそり思ってしまう日の種も、
この日にまかれていた。
あとから振り返ると、あの夜は、
近づいたぶんだけ、いちばん遠くなってしまう未来を、
いちどきりの夜が、いちばん鮮やかに焼きつけていた。
一度だけ近づいたからこそ、その後の「離れていく感覚」ははっきりしていた。
在宅に戻ったあと、画面の中の景色だけが先に変わり始める。
第三夜「画面の向こうに置いていかれる感覚」
それから、しばらくは在宅に戻った。
仕事もあるし、お金も無限じゃない。
ライブが終わった夜のタイムラインは、
だいたい同じ光景で埋まっていく。
「今日も最高だったね」
「○列目からの景色、忘れられない」
現場の写真、ピースしてるチェキ、
汗で少し崩れたメイクさえ、眩しく見える。
推しのファンは、ゆっくりと増えていった。
配信のコメント欄には、
見慣れない名前が並ぶようになり、
ライブに来てくれた人への感謝が、
トークの大半を占める日も増えていった。
僕は、その間を縫うようにスクロールしながら、画面を閉じる。
そこには、僕のコメントも、ちゃんと流れているはずなのに、
推しのポストのリプ欄も、
少しずつ賑やかになってきた。
「今日はライブ楽しかったね!」
「次の現場も行くね!」
「直接ありがとう言えてうれしかった!」
それは、嬉しいことのはずだった。
夢に向かって進んでいる証拠だから。
でも、画面の前に座っている僕の中には、
別の感情が、少しずつ積もっていった。
前は、
「今日も配信ありがとう」「お疲れさま」
そんな言葉を、怖がらずに送れていた。
画面の向こうにいる推しと、
細くても線がつながっている気がしていたから。
でも、
“今日来てくれてありがとう”の言葉が増えるほど、
そこに混ざる勇気が少しずつ減っていった。
僕は今日、そこにいなかったから。
送ろうとして、
打ちかけた文字を何度も消す。
「今日も配信見てたよ」
「行けなかったけど応援してたよ」
──こういうことを書くたびに、
自分で自分の“行けなさ”を
もう一度なぞっている気がして、
だんだん苦しくなっていった。
「行けなかったけど」と書くたびに、
“行けている人”と“行けていない自分”の境界線を、
自分の手でくっきり引いてしまう感じがして、
送信ボタンの手前で指が凍りついた。
そのうち、コメントは短くなり、
スタンプみたいな一言になって、
やがて、それも減っていく。
代わりに増えたのは、
リプ欄の外側からそっと押す「いいね」だけ。
画面の向こうで
「ありがとう」「来てくれてうれしい」と
推しがファンに返しているやり取りを見るのは、
正直、少し怖くなった。
そこには、
“ちゃんと会いに行ける人たち”の時間が流れていて、
僕はただ、その外側から眺めているだけだった。
いつからか、
「おはよう」とか「お疲れさま」とか、
日常の一言すら送れなくなる。
送っても、
きっと埋もれてしまうから。
読まれていないかもしれないから。
そう思うたびに、
指が止まり、画面を閉じる癖がついた。
気づけば、
僕はコメント欄の中の“ひとり”ではなく、
コメント欄を見ている“誰か”になっていた。
それでも、
ポストを開く回数は減らない。
通知が鳴れば、すぐに飛んでいく。
見守ることしかできないのに、
見守ることだけは、やめられなかった。
──「いなくなった」のではなく、
「静かになった」だけのファンが、
そこにひとり増えた。
“静かになった”ファンとして、それでも画面の前に座り続ける。
そんな自分に、一番厳しい言葉を投げていたのは、いつだって自分自身だった。
第四夜「優しい言葉ほど、痛くなる夜」
配信の最後、
彼女はいつも同じように言う。
「いつも見てくれてありがとう」
「来れなくても、心の中で応援してくれてるだけで嬉しいからね」
「自分のペースで大丈夫だよ、ずっと大好きだよ」
画面の前で、その言葉を聞きながら、
胸の奥がじわっと熱くなって、
その少しあとで、ずしんと沈む。
“ずっと大好き”は、
きっと画面の向こうにいる全員に向けた言葉だ。
今日会場に来てくれた人も、
明日のチケットを買っている人も、
まだ名前も知らない誰かも。
そこに、自分も含まれているはずなのに、
どうしても「自分のことだ」とは思えない。
だって、僕は今日も会場にいない。
物販の列にも並んでない。
売上にも、チェキにも、
何ひとつ数字を積めていない。
「アイドルも仕事だから」
「貢献できないファンに、価値なんてない」
誰かがどこかで言った言葉を、
いつの間にか自分の声として、何度も頭の中で再生していた。
そうやって、自分で自分に言い聞かせる。
彼女の優しい言葉を、
“お仕事の挨拶”として扱ったほうが、
まだ心に傷がつかない気がした。
画面の中の彼女は、
笑いながら何度も「ありがとう」と言う。
そのたびに、
コメント欄にはハートとスタンプが流れていく。
僕は、文字を打つ画面を開いて、閉じて、
また開いて、何も書かずに配信を終わらせる。
「自分のペースでいいからね」
本当は、その一言に
どれだけ救われてきたか、分かってる。
それを信じたい気持ちも、ちゃんとある。
でも同時に、
“自分のペース”のままでいたら、
いつか完全に置いていかれるんじゃないか、
そんな不安も同じくらい強くて。
優しい言葉ほど、
都合よく解釈すればいいのに、
一番きつい方向に解釈してしまう夜がある。
そんな夜にだけ顔を出す、
「僕なんていらないよな」という声。
いつの間にか、コメント欄は、
僕が何も言わなくても十分すぎるくらい埋まるようになっていた。
ハッシュタグを追えば、感想ポストも誰かが必ず書いてくれるし、
拡散だって、僕のいいねやRTがなくてもちゃんと回っていく。
そうやって、推しの世界が“ちゃんと回っている”のを見るたびに、
「じゃあ、僕がひとりいなくなっても、きっと何も変わらないんだろうな」と、
ゆっくり諦めるみたいな気持ちが、胸の奥に沈んでいった。
「好きでいてくれてありがとう」と言われるたびに、
“本当に好きなのは、現場に来てくれる人たちだけでしょ”
と心のどこかで勝手に言い換えてしまう、
面倒くさい自分が確かにいた。
本当は、
彼女の言葉をまっすぐ受け取れる自分でいたかった。
「ありがとう、こっちもずっと大好きだよ」って、
何も考えずに打てる自分のままでいたかった。
けれど今は、その一行を打つまでに、
たくさんの言い訳と、
たくさんの劣等感を通り抜けなきゃいけない。
だから今日も、
動画が上がればすぐに再生する。
新曲の告知が出れば、
CDも配信も全部チェックする。
ハッシュタグのついたポストを見つけては、
そっと拡散する。
感想を丁寧に書いて送る。
それは、在宅オタクが張れる、
ぎりぎりの“前線”だった。
誰にも気づかれなくてもいい。
それでも、ここから光を送っていたかった。
届くのかどうかもわからない距離から。
それでも離れきれないからこそ、
「もう見ないほうが楽かもしれない」と思う夜が来る。
それでも指は、フォローを外すところまでは動かなかった。
第五夜「それでも画面を閉じきれない夜」
何度も、フォローを外そうとした。
ブロックしてタイムラインから消してしまえば、
この痛みからは解放されるはずだと分かっていた。
それでも、指は画面の上で止まったままだった。
仕事で疲れた帰り道に、
ふと再生したアーカイブに救われた夜を、
身体がちゃんと覚えているからだ。
「貢献できないオタクに、人権なんてない」
そうやって自分を笑い飛ばしながらも、
その言葉が冗談じゃなく、心の深いところで響いてしまう自分がいて、
それでも画面の中の彼女を
“推し”と呼びたい自分が、確かにここにいる。
⸻
完全に離れることだけは、どうしてもできなかった。
誕生日。周年ライブ。大きな発表がある夜。
そんな日は、ほとんど触らなくなっていた専用アカウントをこっそり開いて、
タイムラインの端っこに身を潜めるようにして、
彼女のポストを追いかけた。
ファンクラブは退会している。
あの小さなフロアの空気の中に、自分もいたことを、見ないふりをするみたいに。
それでも、「おめでとう」と言いたい気持ちだけは消えなくて、
ハッシュタグも何もつけずに、
短いメッセージをそっと投げる夜があった。
見つけてほしいわけじゃない。
ただ少しだけ、「まだここにいるよ」と、
自分にだけ聞こえる声で呟いていた。
画面を閉じたあと、胸のあたりがじんわり痛くなる。
もう戻れない場所の灯りを、遠くから眺めているような感覚だった。
⸻
ワンマンライブの日は、本当はスマホを開きたくなかった。
朝から通知を見ないようにしていても、
お昼を過ぎるころには、結局タイムラインを開いてしまう。
新幹線の写真。会場前の集合写真。
推しの看板、物販の列。
「整理番号◯番だった!」「今日のセトリ楽しみ」
そんな言葉たちが、画面いっぱいに並んでいく。
行かないと決めたのは、自分だ。
仕事が忙しかったわけでも、
一円も余裕がなかったわけでもない。
全部を天秤にかけた結果、
「行かない」を選んだのは自分——
その事実が、タイムラインを見るたびに
胸の奥をきゅっと掴んでくる。
夕方、開演時間になると、
タイムラインが一度だけ静かになる。
みんながスマホをしまって、
同じステージを見上げている時間。
その沈黙だけが、
自分がそこにいないことを、
いちばんはっきりと教えてくれた。
コンビニで買ってきた甘いパンをかじりながら、
真っ暗な画面を見つめる。
配信も何もないその時間が、
今日いちばん長く感じる。
⸻
終演時間を少し過ぎたころ、
またそっとアプリを開いてしまう。
「今日、来てくれてありがとう」
「みんなのおかげで最高のワンマンになりました」
一番上に光っているそのポストの「みんな」に、
自分が入っていないことはちゃんと分かっている。
それでも、行けなかった悔しさと同じくらい、
「良かったね」と思える自分も、確かにいる。
少し前の配信で、彼女はこう言っていた。
「遠くから見てくれてる人もいるの、ちゃんと知ってるからね」
「来れないこと、気にしないでいいよ」
その優しさに救われると同時に、
胸の奥の小さな劣等感が、
静かに照らされてしまう。
現場で名前を呼ばれる人たちの列の、
ずっとずっと後ろの方で、
誰にも見えないまま手を振っているような感覚。
フォローを外さなかった指も、
タグのない「おめでとう」も、
行けなかったワンマンの後に
小さくつぶやいた「おつかれさま」も——
全部ひっくるめて、
それでも「推しでいたい」と願ってしまう自分の、
ささやかな証拠だと思っている。
だから今日もまた、
タイムラインの端っこで、
小さく「好きだ」を続けている。
ワンマンの夜を越えて、それでも残ったのは「離れたくない」という本音だった。
その次の配信で、画面越しに投げられた言葉が、この物語の中でいちばん小さくて、いちばん効いた。
第六夜「画面越しの『だいじょうぶ』」
ワンマンが終わった翌日、
推しの配信があった。
「昨日来れなかった人も、
ちゃんと届いてたからね。
いつも見てくれてありがとう」
それは、誰に向けた言葉か分からない。
もしかしたら、
昨日会場にいた人たちへの言葉かもしれないし、
ただの気遣いの一文かもしれない。
それでも、
画面の前でじっと息を止めていた僕には、
真正面から刺さってきた。
配信のコメント欄は、
「昨日楽しかった!」「余韻やばい」でいっぱいだ。
そこに割り込むみたいに言葉を打つのが、
少しだけ怖かった。
それでも、思い切って指を動かす。
「昨日は行けなかったけど、
素敵なライブだったみたいだね、
お疲れさま」
送信ボタンを押した瞬間、
心臓がひとつ、大きく跳ねた気がした。
きっと流れの早いコメントに紛れて、
すぐに見えなくなるだろう。
それでも、「いないこと」に慣れてしまうよりマシだった。
数秒後。
画面の向こうで、推しがスクロールする指を止める。
「……あ」
一瞬だけ、目線が画面の少し下に落ちた。
そして、ゆっくりと読み上げるように言った。
「昨日来れなかったけど、
素敵なライブだったみたいだね、
お疲れ様
って書いてくれてる人がいて…」
そこで、少しだけ笑う。
いつもの、あの柔らかい笑い方。
「本当に、ありがとうね。
そうやって、遠くからでもちゃんと見ててくれるの、
全部、うれしいから。
『行けなかったからごめん』じゃなくて、
『見てるよ』って思ってくれたら、それで十分だよ」
それが、自分のコメントかどうかなんて、
確認する術はない。
名前を呼ばれたわけでもない。
でも、あの一文を打つまでの迷いと、
打ち終わった後の鼓動の速さ。
それを知っているのは、自分だけじゃない気がした。
配信の画面の向こうで、
彼女は、流れていくコメントをひとつひとつ追っている。
一瞬で消えていく言葉たちを、
ちゃんと掬い上げようとしている。
「来れない日があってもさ、
それぞれの場所から見ててくれるだけで、
私たちはほんとに心強いんだよ」
そう言って、
カメラのレンズを真っ直ぐに見つめる。
その視線の先に、自分がいる保証はどこにもない。
それでも、
画面の中のそのまなざしを見ていると、
「見捨てられてない」という事実だけが、
静かに胸に落ちてきた。
配信が終わり、画面が暗くなる。
声は届かない。
それでも今日だけは、
その届かなさが
少しだけ優しく感じられた。
その夜に画面越しでもらった「だいじょうぶ」は、
大声で叫ばれることも、ドラマチックに変わることもなく、
日がたつほど、ゆっくりと胸の奥に沈んでいった。
劣等感をぜんぶ消してくれたわけじゃない。
ただ、その重さを少しだけ持ちやすくしてくれるような、
そんな手触りだった。
その日も、1LDKの部屋から一歩も動いていない。
それでも、「ここにいていい」と少しだけ思えた夜を境に、
画面を開くときの自分の温度が、ゆっくり変わっていく。
第七夜「それでも、ここから推す」
ワンマンが終わってから、少し時間がたった。
街も仕事も、相変わらずいつも通りで、
スマホの通知の数も、そんなに変わらない。
それでも、ひとつだけ変わったものがある。
推しの配信を開くときの、心の温度だ。
以前は、
「届いてないかもしれない」
「見てもらえてないかもしれない」
そんな言葉が、画面を開く前から頭の中をぐるぐるしていた。
でも、あの日の配信で聞いた
「来れない日も、見ててくれるって思ってるからね」
「行けなかったからごめん、じゃなくて、見てるよって思ってくれたらそれで十分」
その言葉が、今もどこかで灯り続けている。
あの配信の日から、
「届いてないかもしれない」より
「きっとどこかで見てくれている」を、
少しだけ信じられるようになった。
相変わらず、現場にはそう簡単には行けない。
仕事もあるし、お金も時間も有限で、
画面の向こうにしかいられない夜のほうが、きっとこれからも多い。
それでも、
スマホを手に取って配信を開く自分を、
前ほど責めなくなった。
コメントが打てない日もある。
ただ眺めているだけの日もある。
それでも、「いないわけじゃない」と
静かに思えるようにはなった。
遠征に行く人たちの楽しそうなポストも、
前よりまっすぐ「いいね」を押せる。
「いいなあ」と思いながらも、
「それでも僕は、僕の場所から推してる」と
静かに胸の中でつぶやけるようになった。
地方在住で、在宅が多くて、
行けないライブの方が圧倒的に多い。
それでも、推しの歌声に救われた夜は、
確かにいくつもあった。
届かないと思い込んでいた気持ちが、
もしかしたらどこかでちゃんと拾われているかもしれない。
その「かもしれない」が、
この先を生きていくための、
小さな灯りになっている。
劣等感が消えたわけじゃない。
「僕なんていらないよな」という声は、
今も油断するとすぐ隣に腰を下ろしてくる。
それでも、その声だけがすべてだとは、
もう思わないようにしている。
今日もまた、1LDKの部屋で、
甘いパンをひと口かじりながら、
配信の通知を待つ。
推しのことを考えながら過ごす時間が、
自分の生活をすこしあたためている。
それだけで、この場所から推す意味は、
たぶんもう、十分すぎるほどある。
画面の向こうで、
きっと彼女は今日も笑っている。
ここから見上げるその光を、
僕はこれからも、僕のやり方で推していこうと思う。
――たとえ距離があっても、
推しがいる人生は、ちゃんとあたたかい。
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